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大阪高等裁判所 昭和35年(う)746号 判決

被告人 岡田禎勝

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

控訴趣意第一の一及び控訴趣意説明補足(一)について。

所論は原判決の訴訟手続の法令違反を主張し、検察官は原審において本件標準率表及び効率表が国家公務員法第一〇〇条第一項第一〇九条第一二号の「職務上知り得た秘密」に該当するものである事実の立証として、大阪国税局より任意提出にかかる標準率表及び効率表と証人竹腰洋一(元大阪国税局総務課長)、同佐藤健司(元大阪国税局直税部長)、同村山達雄(元大阪国税局長)及び同山下元利(現国税庁直税部所得税課長)の取調を請求し、右証拠物と証人の証言によつて本件文書の内容を明らかにしようとしたところ、原裁判所は、本件の実体たる文書が法廷に提出されない限り他の方法をもつて本件文書の秘密性を立証することは採証法則に反し、これ以上審理を続行しても本件の有罪無罪の判断を考慮する余地がないとして、検察官の右証人全部の取調の請求を却下し、この点について原判決は言及して「検察官の釈明するところによると、本件において問題とされている『標準率表』とは事業所得者の年間売上げに対して通常の場合その所得がどれくらいであるかを業種目別に示した比率の表であり、『効率表』とは一定の業種につきその従業員数、在庫品高、設備員数等の外形標準により通常の年間売上高を示す比率の表であるというのであるから、それが刑罰によつて保護されるだけの実質的な秘密性を保有するかどうかについて判断するに際しては、その内容たる比率が明らかにされることが不可欠の要件であろうと考えられる。しかるに、検察官において証拠として提出した『標準率表』及び『効率表』につき証拠調をしてみたところ、いずれもその表紙についてはなんらの加工もされていないのであるが、その内容の大部分について真黒に墨をぬつたと思われる紙が貼りつけられておるため、そこに記載されていたであろうことを認識することが不可能であり、わずかに数行のみについて数字の記載されている部分のあることが認められるのであるが、それがいかなる種目、業態についての比率であるかこれ又不明であつて、結局、同文書によつてはその内容がいかなるものであるかを判別しえないのである。………更に検察官において証人の取調請求をしているのであるが、いずれもそれにより同文書の内容を立証しようとするものではなく、同文書の秘密性その他その余の事項の立証に資せんとするものにあること証人申請書の記載により明らかであるから、それらの証人を取調べたとしても、文書の内容が明白になるものとは考えられないのである。」と判示しているが、本件文書の秘密性を立証するためには必ずしも文書の全内容を開示しなくとも、本件証拠物と前記証人の証言とによつて十分な立証をなし得るのである。また検察官提出の右証拠物すなわち「標準率表」及び「効率表」は大阪国税局において現段階で同文書のうち開示しても支障ないと認めた部分を明示して任意提出したものを、検察官が領置して証拠として提出したもので、その内容中に黒紙を貼つて秘匿した部分もあるが、これを精査すれば明らかなように、その内容が全く不明である程度に全面的にその内容を秘匿しているものではなく、この証拠物を精査しただけでも、それが如何なる内容のものであるかを了知し得るのである。これに加えて検察官が証人として取調請求した前記竹腰洋一、佐藤健司、村山達雄及び山下元利はいずれも標準率表、効率表の作成に関与し、或は右文書について専門的知識を有するものであり、同人らの証言によつて右証拠物の内容の数字の関係、特質等を説明させたならば一層本件文書の内容性質が明らかとなり税務行政上の秘密として国家公務員法第一〇〇条第一項にいわゆる秘密性を有することが明らかになる筈である。また本件文書が同条項にいわゆる秘密に該当するかどうかは数字そのものよりも、むしろ、その作成方法、使用目的、実際の適用方法、これを公開することによつて生ずべき税務行政上の支障の程度等によつて判断すべきものであつて、これらの事項を除外してその文書の数字の全部をたとえ数学的に分析検討しても、それが税務行政上の秘密に該当するかどうかを決し得るものではないのであるから、原裁判所はすべからく検察官申請の証人調を行い、以上の諸点について審究する必要があつたのにもかかわらず、早計にも形式的に検察官提出の本件証拠物の外形を瞥見したのみで「検察官申請の証人を取調べても本件文書の秘密性を明らかになし得ない」として右証人申請を全部却下したことは、当事者主義を強化した現行刑事訴訟法のもとにおいて、先ず当事者の請求に基く証拠調が原則としなさるべきであつて、勿論裁判所は証拠調の必要がないと認めるときは適切な証拠調の請求であつても、これを却下することはできるのであるが、その必要性の有無は裁判所の恣意的判断によるものではなく、あくまでも、その証拠調請求が事件に関連性があるかどうか、すでに取調べた証拠と重複するかどうかなどの客観的事実を基礎とした合理的判断でなければならないのであつて、本件のように検察官の証拠調請求に対し実質的価値を有する証人申請を全部却下して、なんら事件の実体に関する取調を行わないということは訴訟当事者としての検察官より立証の方法を全く奪うものであつて、刑事訴訟手続の根本を無視するもので、適法な証拠決定とはいえないなどいうのである。

よつて案ずるに、なるほど、原判決が所論指摘のとおり本件文書である「標準率表」(昭和三二年分営業庶業等所得標準率表を指す、以下同じ)及び「効率表」(昭和三二年分所得業種目別効率表を指す、以下同じ)が実質的な秘密性を保有するかどうかについて判断するには、その内容とせられている比率が明らかにされることが不可欠の要件であるとして、検察官において証拠として提出した「標準率表」及び「効率表」は内容の大部分に黒紙を貼りつけられ、わずか数行の数字の記載部分が残され、それがいかなる種目、業態についての比率であるか不明であつて、同文書によつてはその内容が判別し得ないし、取調済のその余の証拠によつても同文書の内容が明らかにされているわけでもなく、更に検察官申請の証人によつても同文書の内容を立証しようとするものでないから、その証人を取調べたとしても、文書の内容が明白になるものとは考えられないとして、検察官の証人三国良雄外一二名全部の取調請求を却下し、直ちに審理終結して、犯罪の証明なきに帰するとして被告人に対し無罪を言渡したことは、原判決書及び記録上明らかである。ところで、本件文書の秘密性の立証として原審において取調べた検察官提出の「標準率表」及び「効率表」(証第六号ないし第九号)を見るに、その比率の部分は殆んど黒紙を貼付してあることは原判決説示のとおりであるが、「標準率表」については適用要領の大部分、営業の部の種目表の半ば、表の区分見出し、種目の大半、庶業の部の種目表、表の区分の見出し標準率の数字三ヶ所等が明らかにされ、「効率表」については、その作成方法、適用地区、効率適用上の留意事項、効率項目の定義及び計算等が記載されている「昭和三二年分業種目別効率表について」と題する部分の全部、表の所得業種目別索引の大半、効率表の区分見出し効率の数字三ヶ所、業種目別売上指数表およびたな卸資産増減指数表の作成方法、活用方法、同指数表索引の大半、及び該表の区分の大半等が明らかにされているのであるから、必ずしも比率の数字全部が明らかにされなくとも、その文書の記載内容の大綱を認識することができ、また原審第一三回公判調書の記載によると、検察官は同公判期日において、本件文書が税務行政上の秘密である事実を立証せんがため、証人竹腰洋一、同佐藤健司、同村山達雄及び同山下元利の取調請求をしており、これらの証人は当然文書の内容に触れることは予想されるところであり、わが刑事訴訟法においては弁護人所論のような英米証拠法上の原則たる最良証拠の法則はなく、文書の内容を証明するについて、文書自体の提出が不能な場合は勿論のこと、たとえ可能な場合でもその文書不提出について首肯すべき合理的な理由がなければないほどこれに替るべき他の証拠の証明力は減殺され、極度に低い場合もあり得るから文書自体を提出するのが普通であるけれども、何らかの理由により必ずしも文書自体を証拠として提出しなくとも、他の証拠によつて証明することは許されるのであるから、右証人らの取調によつて、本件文書の内容を補足立証することができるのである。そして、原判決は本件文書が刑罰によつて、保護されるだけの実質的な秘密性を保有するかどうかについて判断するに当つては、その内容とせられている比率が明らかにされることが不可欠の要件であるとする立場に立ち、前記証人らの取調によつては比率数字が正確に把握されないものと予想し、それが明白になし得ない以上、右文書が国家公務員法第一〇〇条第一項にいわゆる「秘密」であると認めるに由なきものと断じているけれども、本件文書については、さきに見たとおり、比率の部分は殆んど黒紙を貼付しているがその他の記載内容の大綱は認識することができる以上いわゆる「秘密」の判断には数字自体にそれほど重要性をもつものではなく、論旨指摘のとおり、むしろその文書作成の経過方法殊に数字の算出方法、使用目的、実際の適用方法、これを公開することによつて生ずべき税務行政上の支障の有無程度等を明らかにすることによりこれを判断すべきものと解する。してみれば、原裁判所が取調べた検察官提出の「標準率表」及び「効率表」(証第六号ないし第九号)の比率の数字の部分が黒紙を貼付して秘匿してあるの故をもつて、比率の部分を明らかにすることができないからとて検察官申請の右証人らの取調をなすまでもないものとして右証人を含む検察官の全証人の取調請求を却下し、直ちに審理終結して検察官に立証の機会を与えなかつたことは、証拠調の請求の採否が裁判所の自由裁量に属するとはいえ、現行刑事訴訟法の当事者主義のたてまえからして、合理的な理由が見出せないので違法なものといわざるを得ない。しかして右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、爾余の論旨に対する判断をなすまでもなく原判決はすでにこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項第三七九条第四〇〇条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本圭三 三木良雄 古川実)

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